Blog ブログ

Blog

HOME//ブログ//五木寛之 著 「捨てない生き方」を読んで

ブログ

五木寛之 著 「捨てない生き方」を読んで

断捨離

目次

人生百年、豊かに生きる一つの提案。捨てない生き方の意味

 コロナ禍を背景に再び話題となっている「断捨離」。身の回りのモノを整理、処分しシンプルに生きるという考え方に対して、逆に「捨てない生き方も悪くない」。このことの道理が、この本の中でわかりやすく語られています。自分なりに短く以下のようにまとめてみました。

 今、人生は百年と言われている。これを山登りに例えれば概ね60歳までは登り、ひたすら山頂を目指し登り続ける日々。そしてようやく登ったら今度は山を降りることが待っている。
これが人生後半の生き方で、健康や経済の不安、さらに孤独と向きあいながら道を歩むことになる。
 しかしこの下り坂にこそ人生の本質がある。これまで味わってきた労苦や努力を自ら再評価しこれからも自分は生きていくのだと実感する大事な道のりである。
 ここで前を向いて歩むチカラとなり、また孤独の癒やしとなるもの、それがこれまでの人生の中の「記憶」と、それをもとにした「回想」である。
 
 回想とは、あのときはよかった、と単に思い出に浸り懐かしむことではない。そこには
必ず今を知り、明日へ思いを馳せることを伴う。
「あのときはこうだった」、「それがあり今こうして生きている」、さて「明日はどうだろう…」と。
 これを繰り返し考えることが生きるチカラの源泉となっていく。
そしてこの記憶の再生と回想を生むきっかけ、依代ともいえるのが、これまで人生を共にしてきた「モノ」たちである。
 モノは「記憶」を呼び覚ます装置である。
 若い時に使ったあるモノを見ていると、そのときの自分が一瞬にして浮かびあるがってる。
 苦労して手にいれたか、たやすく手に入れたかには関係なくモノには手に入れたときの感情と風景、そして数年、数十年と、ともに過ごしてきた記憶が宿っている。その記憶が心強く明日へのチカラを生むのである。
 容易にものを捨てられない理由がここにある。
都会のワンルームで最小限の服や家具で合理的でシンプルな暮らしを否定するものではなが、何だか空虚な感じがしてならない。寝るとこともないほどモノが溢れている部屋もそれはそれで味わい深いと思える。

 いろいろなものに囲まれて暮らすことも一つの豊かな精神世界ではないだろうか。
モノをどんどん捨てていくということは、自分が生きてきた人生、そして自分が過ごしてきた
時代という<歴史>を捨てていくのと同じことのように思えてならない。

改めて知る写真の大きな役割

 アフターコロナを心豊かに暮らしていくため記憶と回想、さらにそれを引き出す依代としてのモノが重要と五木寛之さんは著書で言っています。
 その依代の最強のモノの代表がこれまでの人生を写し込んできた写真であることは間違いないところです。
1枚の写真からは見た瞬間にそのときのこと、時代の空気感を伴って蘇ってきます。明日を生きるためにこの写真を活用しようと考えお薦めしているのがこのサイトでご紹介の「写真自分史 My Photo Story」です。
 沢山の写真をそろそろ整理しなくては…、そんなときいくら写真が雄弁なモノであったとしてもそのすべてを残していくわけにはいかない。
「My Photo Story」は、多くの写真のなかから強く記憶に残り、ご自身がそこに埋め込まれた思い出を語りたくなるモノだけを厳選。編集人が一枚一枚の写真にまつわる思い出を聞き取りながら短く文にし、写真に添え、時代順に並べ見やすくレイアウトしブックにしていく写真自分史作りというサービスです。
 
 いわば断捨離をしながら、全てを捨ててしまう、つまりご自身の歴史をきれいに捨てしまうのではなく、明日のために有用な思い出を確かめ、残し、伝えるモノを新たに作り出すことが目的です。

 さて、写真をどうにかしないと…お考えの皆様のお役に立てると考えているMy Photo Story。お気軽にお問い合わせください。

SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧